2025年最初のブログとなりますが、新年明けてどのようにお過ごしになりましたか?
私は毎年家族と集まって正月に食事をしますが、今回はその中で出てきた話をさせていただきます。
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私の母と赤い車
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私の母(現在77歳)は、自宅の窓越しに夕陽の美しさを眺める時間を、ほとんど持つことがなかった人でした。
どういうことかと言うと、夕方に自宅へ戻れる生活を送る余裕がなかったのです。
365日間、朝から晩までほぼ休む間もなく働き続けていました。
私の誕生日は4月15日。その日も、母は学校の体操服を納品するために学校中を回っていたと聞きます。ようやく仕事を終えたその夜、私は母のもとに生まれてきました。
母は、私が生まれた直後から再び働き始めました。
私を背中におぶったまま営業を続け、車の中では段ボールをゆりかご代わりにして私を寝かせていたそうです。
ある日、営業先の学校の駐車場で、赤ちゃんの泣き声が聞こえると思ったら、それは私の声。
それを見つけた先生が職員室で営業している母に対し
「古内さん、赤ちゃんが車の中で泣いていますよ! 戻ってあげて!」と声をかけられることもあったとか。
どうやら赤ん坊の頃から、私は母とともに仕事をしていたようです(笑)。
そんな母が、ある日、自宅に忘れ物を取りに帰ったことがありました。
夕方の時間帯に自宅へ立ち寄った時、キレイな風景をそこに見ました。
赤い夕陽が窓から射し込む夕方。
「窓から射し込む夕陽って、こんなに綺麗だったんだ…」
母は、その美しさにしばらく見とれていたそうです。
その時、自宅の駐車場に母の愛車だったマツダの真っ赤な「ファミリア」という車が窓の外に停まっていました。
窓越しには赤い夕陽。
窓の外には赤い車。
そして、ちょうどその時、その赤い車の先に、学校から帰宅する私の姿が見えたそうです。
私が小学生の特に低学年の頃、家に帰るといつも一人でした。
姉は10歳も年が離れており、ソフトボールの強豪校に通うため、家を離れていました。
兄も8歳年上で、部活で遅くまで帰りません。
そのため、私は児童保育に通っていた時期もありました。家では遊ぶ友達がいない時、プラモデルが私の唯一の友達でした(笑)。
そんなある日、下校途中で母の赤い車が家の前に停まっているのを見つけました。
「お母さんだ!」と嬉しくなり、走り出しました。
母は窓の外から、私が赤い車を見つけて走る姿をじっと見ていたそうです。そして、家の玄関から元気に帰ってくる私の姿を見た瞬間、こう思ったそうです。
「子供と触れ合う時間もなく、私は何をやっていたんだろう?」
仕事一辺倒なのには理由があります。
母だけではなく、私の父も一生懸命に働いていました。家族との触れ合いの時間だって欲しかったと思います。しかし、当時はその余裕はありませんでした。
子どもたちをキャンプに連れて行ってあげることもできない。誕生日にパーティーをすることもできない。
でも、そんな生活も、商売をしている人には仕方のない段階もあるのです。責めることなんてできませんし、むしろその時期を経たからこそ、今があるのだと思っています。
その後、私は小学3年生でサッカーを始め、帰りが遅くなることが増えました。両親とも相変わらず仕事に追われ、夕方の家での時間を共有することは少なくなりましたが、あの時の夕陽の射し込む情景は母にとって忘れられない思い出だったのだと思います。
年末年始に母と話していたとき、この話を思い出しました。
「今が一番いい時間を過ごしている」と母は言います。
その日の夕陽と赤い車、そして母の胸に去来した想いが目に浮かび、私の胸も熱くなりました。
幸いなことに、現代は子ども手当の充実や医療費の無料化、教育費の無償化など、子育てを支える仕組みが整っています。
あの時代を懸命に生きた母のような人が、少しでも楽に子育てができる社会になったことに感謝しています。
私も、夕方に帰ることはできなくても、社員たちが一生懸命働いてくれているおかげで、子供たちの保育園の送迎が出来るようになりました。
16時半になると私は保育園に迎えに行きます。
そして、1週間に1日は休みを取ることができるようになりました。
そんなささやかな時間も、私には幸せを感じられる時間です。
今年もこうして、健康で迎えられたことに深く感謝いたします。
今回のお話はいかがでしたか?
私の息子も今年から小学生です。
小学校に上がる準備としてランドセルを買ってもらった息子は、おおはしゃぎです。
あの頃の私のような思いは、してもいいし、しなくてもいい。
ただ、どんな時であっても、そこに家族の愛情が確かにあったのだと感じてもらえたなら、それでいいと私は思っています。
小学生になったら、野球、サッカー、水泳、ドラム、囲碁、剣道、英会話など、やりたいことややらせたいことがたくさんあります(笑)。
全てをプロフェッショナルになることは出来なくても、色んな経験をする中で、幅広い知見と多様性に触れてもらえたらいいなと思っています。
また2025年もどうぞよろしくお願いいたします!!!