今日、娘が通っている保育園から、七夕の短冊が配られました。
「願い事を書いてください」と言われましたが娘はまだ1歳。言葉も話せません。
「パパうぇーい」
とか
「ママ〜」
とか
最近「あ、け、て〜」と、お菓子を持って来るくらいです(笑)
でも毎回、私は迷うことなくこう書いています。
「世界中の人々と友達になれますように」
娘の代わりに、父としての僕がこんな願いを込めました。
それは、この子がこの世界を優しく見つめ、様々な環境や価値観に触れ、分け隔てなく人と関わっていけるようにと願うからです。
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夢の形が変わる時代
今の世の中は、子どもたちにとって可能性が無限に広がっています。
でもその分、「何を夢に持てばいいのか」がわかりにくくなっている可能性もあります。
選択肢が広がりすぎると、フォーカスしづらいのです。
私の場合は、キャプテン翼やJリーグといったように、「サッカーだろ!」みたいな流れもありました。
ですが今は色んな選択肢が広がっているし、しかもAIのように凄いものも出てきています。
それゆえ、「⚫︎⚫︎になりたい」などと夢を語っても、「AIで再現できるかもね」と言われてしまう時代です。
もしかしたら数年後には本当にAIで代替できるものばかりになるかもしれません。
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色んなものがAIに代わられていくようにも思います。
でも、
夢って、本来は“自分が何を幸せと感じるか”に紐づくもの
だと思います。
だからこそ、自分の「心の声」に素直に耳を傾けることが、これまで以上に大切になってきたと感じます。
ちょっと前や現在進行形では、
情報処理、情報整理に価値が傾いていました。
ですが、それは究極系になって、
AIとなってしまった。
つまり、情報集約や処理に関することはほとんど、”人間以外の何か”が処理出来るようになってしまいました。
手でチクチク裁縫をしていたことが
機械で自動裁断、自動縫製出来るようになってきてしまったように。
じゃあ何を幸せと感じ、何を幸せと感じないか。
そのボーダーラインを自分で決めるのは、難しくもあるし、でもその分とても大切なことだと思います。
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世界中の友達が教えてくれること
私の娘は、ある程度恵まれた環境にいます。
アンパンマンが見たければリモコンのスイッチを押せば切り替わる。
暑ければスイッチ一つで冷房がつく。
でも、世界にはその「スイッチ」すら持たない人たちがたくさんいます。
だからこそ、私はこう思うのです。
「スイッチをたくさん持っている子と、全く持っていない子が、分け隔てなく友達になれること。それ自体が、最高に価値のある経験になる」
娘には、そんな友達をたくさん持ってほしい。
その中で、様々な生き方、様々な価値観に触れてほしい。
そして、「自分は何を幸せと感じるのか」という問いを、深く自分の中で育ててほしいのです。
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今日、あなたは何を願いとして書きましたか?
七夕というのは、不思議な力があります。
「いつもは言えないけれど、こうなりたい」と素直に書ける日。
「叶うかわからないけど、書いてみよう」と思える日。
ぜひ、あなたのお子さんと一緒に、願い事を書いてみてください。
それは未来への「心の種まき」になるかもしれません。
親として、子どもの夢にどう向き合うか。それは「何を与えるか」ではなく、「何を感じ合えるか」だと思います。
夢の輪郭は、誰かと比べて決まるものではなく、自分が何に満たされるかを知ること。
成功や幸せのカタチは、人それぞれ。
私は娘に、「足るを知る」心を大切にしてほしいと願っています。
令和7年7月7日
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