「スポーツとライフの研究所」で伝えた夢と目標、リペアの文化、そして一本桜の魅力
昨日、札幌市スポーツ協会が主催する「スポーツとライフの研究所」にて講演をさせていただきました。
テーマは「スポーツに関わる生き方」と「スポーツ用品のこだわり」。
講演では、私自身がこれまで経験してきた失敗や気づき、
祖母、そして父から受け継いだ教えやお客様からいただいた言葉、
そしてこれからの夢や目標について語りました。
その内容をあらためてここに記しておきたいと思います。
幼少期 ― 祖母からの教えと夢
私には大好きな祖母がいました。
祖母はいつも私に積極的な言葉をかけてくれていました。
私が保育園から帰ると、スポーツショップ古内で働く両親を待つため、その2階にある祖母の家に行っていたのですが、いつも
「克弥、あなたにはすごい能力があるね。あなたはやりたいことはなんでもできるから、やりたいことをやってごらん」と言ってくれたり、
「克弥、あなたはやさしい子だから、親孝行してあげてね」とか
「克弥、あなたは世の中の役に立つ人間になるんだよ」と言ってくれました。
私はいつもニコニコとした笑顔で話を聞いてくれる祖母が大好きでした。
そんな祖母が、私が7歳の時にガンを患い亡くなってしまった時、私は医者になろうと思いました。
医者になれば、祖母のように病気で苦しむ人を救ってあげられると思ったからです。
それから少し過ぎたころ、私はいつも両親が商売のことで意見がぶつかり合っている姿を見ていました。
問屋への支払いに関してや、仕入れについての意見のぶつかり合いがあって、
それを「お金がないと大変なんだ」と思いながら聞いていたのです。
だから、大好きな祖母に言われていた「親孝行」は、「お金持ちになれば解決」だと思っていました。
そう思った頃、サッカー少年団に所属していた私は小学4年生になった時、Jリーグが始まりました。
そのJリーガーで年俸3億円をもらっているリネカーという選手を見て
「僕はJリーガーになろう!そうすればお金持ちになって、親孝行が出来る!」と思い、
医者ではなくJリーガーになるぞ!と考えるようになりました。
夢が変わる ― 「スポーツショップをでっかくする」へ
しかしまたもや私の夢は変わります(笑)
11歳の頃。
その日は「スポーツショップ古内」のセールの日。
私は父親に
「克弥、お前はサッカーをやっているのだから、サッカーのスパイク売場に立ちなさい」
と言われ、サッカースパイクをお客様にオススメする係となりました。
まだ子どもだった私にとって「販売」という行為は未知の世界でしたが、実際に接客をしてみると、驚くほど楽しくて仕方なかったのです。
お客様がスパイクを気に入ってくださり、1万円を手渡してくれる。
その瞬間に「ありがとう」という言葉までいただける。
そしてセールが終わった後には、両親やスタッフから「頑張ったね、どうもありがとう」と褒めてもらえる。
お金をいただきながら、感謝の言葉までもらえる。
さらに自分の努力を家族や仲間から認めてもらえる。
こんなに楽しいことが世の中にあったのか、と胸が熱くなりました。
そのとき、子ども心に強く思ったのです。
「このお店はお客様に愛されている。父の代だけで終わらせてしまうのは、もったいない」
私はこの店を継いで、もっとでっかくする。
そう決意した瞬間でした。
夢に向かって ― 多種多様なスポーツの経験とアルバイト、そしてゼット株式会社での修行
「スポーツショップをでっかくする」という夢を持ってから、私は小学6年生の時に決意を示す作文を書きました。
そして中学でもサッカーを続けましたが、高校ではバレーボールを始めます。
バレーボールがとても楽しくて、1試合でも多く出場したかったので、毎日練習に励みました。
練習が終わっても自主練習。家に帰ってからも自主練習。
おかげで高校時代には公立高校ながらも全道大会ベスト8まで勝ち進むことも出来ました。
大学でもバレーボールをメインに、アメフト、ハンドボール、フットサル部に所属しました。
多種多様な種目を経験したのは、スポーツショップ古内で働くために、色んな知識を身に着けておこうと思ったからです。
ゼット株式会社での修行 ― グラブと出会う
大学を卒業した私は、野球用品メーカーとして有名なゼット株式会社に入社しました。
当時の私は野球の専門家ではありませんでしたが、日本のスポーツにおいて野球は欠かせないスポーツということもあり、野球のグラブを作る工場での勤務も経験させていただくことができました。
この経験が、後に私がスポーツショップ古内を継ぎ、グラブを中心とした商いに力を入れる大きなきっかけとなっていきます。
ゼットへの恩返しをしたくて、営業では地道にコツコツと数字を重ね、トップセールスとなり社長賞をいただくことが出来ました。
私はこのかけがえのない経験により大きな自信を持ちます。
自信と期待に胸を膨らませながら、ついにスポーツショップ古内へ凱旋します!
天狗になった凱旋と営業恐怖症への転落
ゼット株式会社でトップセールスとなり、社長賞を受賞した私は、自信満々で札幌へと凱旋しました。
当時の私は、正直なところ「自分なら何でもできる」と思い込んでいました。
しかし、それは「自信」ではなく「慢心」であり、完全に天狗になっていたのです。
スポーツショップ古内に戻ってすぐ、私は学校営業に出向きました。
ところが、現場での私の高飛車な態度は、先生方にすぐに見抜かれてしまいます。
「古内からは買いたくない」
「古内のことは嫌いだ」
そんな厳しい言葉を浴び、私は愕然としました。
いくら提案しても断られる。
自信はみるみる失われ、学校に営業に行くのが怖くなっていきました。
嘘をついて病院に逃げる日々
その頃、父は病院で療養していました。
私は営業に出るふりをしては、途中で病院に立ち寄り、父に会いに行くようになりました。
しかし、そこで口にする言葉はいつも「嘘」でした。
「今いい案件で動いているんだ」
「俺が帰ってきたから、もう任せてよ」
本当は営業から逃げて病院に来ているだけなのに、父を安心させるための嘘を繰り返していました。
面会時間が終わるころになると、再び営業車を走らせました。
しかしその時間には学校も終わり、先生方も帰宅している。
つまり私は「外出した」という事実だけを作り、「営業はしていなかった」のです。
営業恐怖症の深みへ
提案しても断られ続け、嘘を重ね、病院に逃げる。
そんな日々を繰り返すうちに、私は完全に「営業恐怖症」に陥っていきました。
営業先へ向かう車の中で胸が苦しくなり、足が前に出なくなる。
人に会うことが怖くなり、断られることが恐ろしくて仕方がない。
ゼット時代にトップセールスとして輝いていた自分と、今の自分との落差に苦しみ、どんどん自分を責めていきました。
そして、周りをも責めるようになります。
社員が悪い。
仕入れ先が悪い。
得意先が悪い。
政治が悪い。
などなど、手に負えないほどに負のループに落ちていきます。
父との30分間と父の死
ある日、病院から自宅に戻っても良いと言われ、私は父を迎えに行きました。
父を車に乗せて送る道すがら、私は一つの相談を持ちかけました。
「さっき、お客様が来て『明日が大会なのにガットが切れてしまったんです。なんとか張り直しできませんか?』って言われたんだ。でも俺、まだテニスのガット張れないから、預かったはいいけど困っちゃって…」
すると父は
「今日は調子がいいから、店に寄ってくれ」
と言いました。
父はそのままお店に入り、慣れた手つきでガットを張りはじめました。
一切の迷いもなく、リズムよくガットを通し、わずかな時間で仕上げてしまう。
あらためて「父は職人なんだなぁ」と感じずにはいられませんでした。
ガット張りを終えた父は、少しだけお客様の接客までして、
「疲れたから、そろそろ自宅に戻してくれ」
と私に言いました。
父と私が一緒に店に立ったのは、この時が最後でした。
この30分の間に、私は「困った人が相談できるお店」がいかに必要とされているかを理解しました。
その後、父は職場に復帰することなく、2008年9月に息を引き取りました。
父の葬儀での気づき ― 本当の親孝行とは何か
私の人生を大きく変えた出来事は、父の葬儀でした。
葬儀の日、私は驚くべき光景を目にします。
お客様が次々に参列し、父の遺影の前で静かに頭を下げて帰っていく姿。
「おじさん、ありがとう」という言葉が何度も聞こえました。
「おじさん、いつもガットを早く張ってくれてありがとうございました」
「おじさん、いつもグラブを修理してくれてありがとうございました」
その瞬間、私は
「お金があれば親孝行ができる」「お金があれば幸せになれる」
そう信じてきた自分の考えが、いかに浅はかだったのかと気付きました。
本当の親孝行とは、この光景をつくり続けること。
お客様が笑顔で買い物に来て、私たちとのつながりを心から喜んでくださること。
それが、父が残してくれた最大の財産であり、私が引き継ぐべきものだと気づいたのです。
目標未達の悔しさと成功の定義
気づきを得たとはいえ、それをすぐ営業の現場に結びつけられるほど世の中は甘くありませんでした。
「わかったからといって、明日から数字が伸びる」――そんな単純なものではなかったのです。
その頃の私は、焦りと不安の中で藁にもすがる思いでした。
そんな時に出会ったのが SMI(Success Motivation Institute) という教材です。
「夢と目標を紙に書き、それを毎日繰り返し読み返すことで、自分が本当にやりたいことを研ぎ澄ませ、目標を達成していく」――まさにメンタルトレーニングであり、営業恐怖症になっていた私にとっては数字をつくらなければならない現実を打開するための救いでもありました。
この教材を販売していたのが、私の人生のメンターともいえる覚張利彦さんです。
近くの高校の野球部で講演会を開いているところを傍聴させていただき、
「忘れていた!これだよ!小さな頃からいつも目標を持って頑張ってきた!サッカーでも毎日目標を持ってイメージトレーニングをして小学4年生の頃から6年生たちのチームのレギュラーになった。バレーボールでも次にあのチームメイトを超える。次にあの先輩を超える。と目標を立てて、毎日自主練習を繰り返しレギュラーになって活躍してきた。ゼットでも目標を毎日もって、「今日も前年の売上を超えるぞ!」と仕事をしていたことでトップセールスにもなれた!どうして忘れてしまっていたんだろう!?」
と電撃が走るようでした。
覚張さんとの目標設定
教材を受け取ったあと、覚張さんは私にこう言いました。
「それでは克弥さん、具体的な目標を立てましょう。まずは2500万円を売る、というのはどうですか?」
私は思わず声を荒げました。
「え!?2500万円!?無理ですよ!昨年は1100万円しか売れなかったんです。しかも、その1100万円も嫌な思いをたくさんしながら、必死になってやっと達成した金額なんです。倍以上なんて無理です!」
覚張さんは笑顔で頷きながら、少しずつ数字を下げてきます。
「じゃあ2200万円は?」
「それでも無理です!」
「じゃあ2000万円なら?」
「いやいや、それも無理です!」
「1800万円は?」
「……いや、それも難しいです。」
「じゃあ1600万円は?」
「1600万も厳しいです。」
「……じゃあ1500万円は?」
私は言葉に詰まりました。
それでも「難しい」と言い張る私に、覚張さんは真剣な眼差しで言いました。
「克弥さん、会社の状況を考えるとね、本当に1500万円を売らないと危ないんですよ」
その言葉に、私はようやく腹をくくりました。
「……わかりました。なんとか1500万円を目指してやってみます!」
こうして私は「1500万円を売る」という新たな目標を設定しました。
このやり取りは、私にとって忘れられない瞬間です。
“無理だ”と逃げ続けていた自分が、「挑戦する」と言葉にした。
その一歩が、のちに大きな飛躍につながっていきました。
結果は――
しかしここでも、現実は甘くありませんでした。
勇気をもって目標を紙に書いたものの、1年を終えた時の私の成績は1490万円。
わずかに届かず未達。
悔しくて、なさけなくて、そして何よりも「覚張さんに怒られるのではないか」という怖さがありました。
それでも震える手で電話をかけました。
「はい、覚張です」
「覚張さん……すいません。最後の10秒まで頑張ったんですけど、目標に届きませんでした」
「そうでしたか。ところで、昨年はいくら売ったのでしたっけ?」
「1100万円です」
「それで、今回は?」
「1490万円でした」
次の瞬間、覚張さんの声が響きました。
「すごいじゃない!!!」
その一言で、涙が出そうになりました。
覚張さんは続けます。
「いいかい、克弥さん。確かに、目標を達成できたらそれに越したことはない。でもね、目標を持った結果、昨年の自分を超えることができたなら、それは立派な『成長』だ。つまりそれこそが『成功』なんだよ!」
成功の再定義
私はずっと「成功とは目標に到達すること」だと思っていました。
でもそうじゃなかった。
成功とは、成長し続けること。
この気づきがあったからこそ、私は目標を持つことが怖くなくなりました。
「できるかどうかわからないからやらない」のではなく、
「挑戦するからこそ成長できる」という考え方に変わったのです。
この瞬間が、私の人生の大きなターニングポイントでした。
「成功とは到達することではなく、成功とは成長することである」
この時から、私は自信を持って目標を紙に書くようになりました。
そして、今のこのスポーツショップ古内があります。
グラブを1000個販売するお店にするんだ!
覚張さんの言葉によって「成功とは成長すること」という新しい定義を心に刻んだ私は、目標を持つことが怖くなくなりました。
むしろ、「次はどんな夢を描こうか」とワクワクするようになったのです。
そこで私が掲げた新たな挑戦が――
「年間でグラブを1000個販売するお店にする!」 という目標でした。
当時の私の店のグラブ販売数は、年間わずか150個程度。
それを1000個にするというのは、数字だけ見れば到底現実的とは言えないものでした。
周囲からは「無理だろう」「夢みたいな話だ」と言われたこともあります。
でも私は心の奥でこう思っていました。
野球人口は北海道に学生だけでも10000人もいる。1年間でグラブを必要とするのは、2年~3年おきに買い替えがあったとしたら3000人は必要としている人がいる。そしてその中には2つ必要とする人もいる。
だから年間1000個は無謀じゃない。
札幌市内だけではなくて、北海道全域を商圏としようという考えに行きついたのは、あるきっかけがありました。
興部という場所から車で5時間半かけて来店したお客様がいました。
「こんなふうにグラブに手をはめてから買い物が出来るなんて幸せです!」
どうやら、このお客様はインターネットでしかグラブを買ったことがなかったらしく、届いたグラブが手に合わない、という経験をたくさんしてきたそうなのです。
そんなお客様の話を聞いて、
「こんなふうに手をはめて買うことに幸せを感じる人は、世の中にたくさんいるに違いない!」と思いました。
祖母から言われていた「世の中の役に立つことをする」というのは、グラブの買い場に困っている方々のお役に立つことで実現できる!と思いました。
一本桜のように
私は、この挑戦を通して店を「一本桜」のようにしたいと願いました。
一本の桜が見事に咲き誇れば、人が集まり、やがてそこに道ができ、店ができ、町が生まれていきます。
桜そのものが「人を惹きつける魅力」を放ち、その魅力が周囲を動かし、文化やコミュニティを育てていきます。
「一本桜」の魅力は、「お客様が集まってくださる力」そして「『この魅力をもっと磨き上げたい』と思ってくれる仲間たち」が集まるものとしてとらえています。
「一本桜の経営」という教え
この考え方に影響を受けたのは、斎藤一人さんという偉大な経営者の存在でした。
そのお弟子さんである永松茂久さんが書かれた本『斎藤一人の道は開ける』の中に、「一本桜の経営」という話が出てきます。
本の中で語られているのは――
「一本桜のように圧倒的な魅力を放つ存在になれば、人が自然と集まり、そこに道ができ、町ができる。だから経営者は“魅力”を育てなければならない」――というもの。
この話を読んだとき、私の胸に深く突き刺さりました。
「そうだ、店そのものが一本桜のような存在になればいいんだ」
「お客様にとって“ここに行けば間違いない”と思ってもらえる場所になれば、人は自然と集まってくれる」
そう確信したのです。
魅力が町をつくる
私は父から「修理やリペアの精神」を受け継ぎました。
そして、お客様の声に耳を傾ける中で「グラブを1000個販売する」という夢を抱きました。
子どもの頃に描いた夢である「スポーツショップをでっかくする」は、「一本桜のような魅力を持つ店」へと、イメージを深めることが出来ました。
魅力とは、単に商品力や価格競争のことではありません。
「この店に来ると元気が出る」
「ここで買うと、野球がもっと好きになる」
「スタッフとの会話自体が楽しい」
そう思っていただける存在感こそが、一本桜の魅力であり、店づくりの本質だと信じています。
お客様からいただいた声が宝物
私を支えてくれているのは、日々お客様からいただく声です。
「こいつさぁ、家では全然しゃべらねぇのに、この店に来ると親子の会話が出来るんだわ(笑)」
「紹介してもらったバットで毎日素振りをするようになり、バッティングで悩んでいたこの子が首位打者になりました」
「このお店ほんっといいお店!だってみんな親切なんだもん!うちの息子の最後の試合の時には手紙出すから是非見に来てね!!」
ある方は、母の葬儀のあと遺品整理をしていて、高校入学時に買ったグラブが出てきたと話してくれました。
「ボロボロなのに大切にしまってあって。このグラブで孫とキャッチボールをしたい。だから直してもらえませんか?」
このようなエピソードに触れるたび、モノは単なる道具ではなく「思い出」そのものであり、人の人生を形づくる大切な存在だと感じます。
商いとは、そうした思い出に寄り添い、支えていくことなのだと確信します。
リペアの文化と世代を超えた共感
今回の講演で特に印象的だったのは、77歳と80歳の大先輩方が、父から受け継いだ「リペア」の話をとても熱心に聞いてくださったことでした。
どうしてそこまで熱心に耳を傾けてくださったのか尋ねてみると、お二人とも戦後すぐに生まれた世代だと分かりました。
物も食料も乏しい時代。
米粒一粒を大切にし、靴下が破れれば縫い、シャツが破れれば繕って着続ける。
そうした経験を積んできたからこそ、「大切なものを長く使い続ける」という私の姿勢に深く共感してくださったのです。
リペアは単なる修理ではありません。
それは「文化」であり「価値観」であり、「思い出を持ち続ける行為」です。
そしてその文化は世代を超えて受け継がれ、人と人とのつながりを強くしていく。
私はそのことを改めて実感しました
おわりに
講演を終えた後、その77歳や80歳の大先輩から「あなたはうまくいくよ」と励ましの言葉をいただきました。
そして主催者であるスポーツ協会様からは「ぜひ職員研修でも」とお声をいただきました。
夢と目標を持ち続けること。
大切なものを直し、長く使い続ける文化を守ること。
一本桜のように、人を惹きつけ、つながりを育む存在であり続けること。
それこそが、私の商いであり、私の生き方です。
春になれば必ず花を咲かせ、見に来る人たちに感動を与えるように、
その存在自体が人を惹きつけ、町をつくり、未来へとつながっていく。
そんな“魅力ある一本桜”でありたい。
こんな私の姿が少しでも皆さんのお役に立てたのなら大変うれしく思います。
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